|
元・小鮒釣りしかの山/つりのとも97/8月号
「最近行ってまっか」…わてに会う人は挨拶がわりに腕を上下に動かしてニヤニヤ笑いよんねん。何年も釣りキチを自称しとると、そない言わなあかんと思てる奴がやたらぎょうさんいてるんや。ま、しゃあないか、とへラへラ笑うて調子合わせとんのやが、おまりおもろないわ、分かるやろ。 しかし、ときたま耳より情報を持って来よる人もいてんねんで。「そらごっつうでかい鯉がおるとこ知ってまっせ、行きまへんか、すぐ近くですわ、秘密のポイントや」 まあ十三大橋の下あたりのこと言うとるんやろな……と思たが、気分わるされてもあかんので適当に話を合わせてたら、信じていないと感じたんか、カバンの中から大切そうに取り出した魚拓に眼えむいたで。 「どないです、86cmありま」 「行く、連れて行ってちょうだいませ」と話がまとまって、金曜日午後の仕事を早めに切上げて釣具一式入れたザック担いで竿持って奴の会社まで行きましたがな。 「えらい本格的でんなあ。まあ、かましませんけど…」 どうも歯切れが悪い。彼は仕事着の青いジャンパーで胸に名礼ぶら下げたまま、竿とコンビニの袋下げて出てきた。 「おい、そんな恰好で釣りに行くんか」 「あかんか、こんなもんやデ」 どうも様子が変やなあ、と思いつつ、堺筋を北に向かう。夏の日ざしがまだ高いので汗がどっと吹き出る、おまけに通るビジネスマンの好奇の目が集中してどうもこっ恥ずかしいがな。 「おい、歩くんかいな」「そや」「しゃあけど街中や、恰好悪いわ」 ぶつくさ言う自分を尻目にどんどん歩くので、しやあない。その後を汗を拭き拭きついて行ってん。 しばらく歩いて北浜の三越を東に析れて高麗橋のたもとで振り返りましてな、 「ここや」て涼しい顔で言いよんねん。 ![]() 「あのなあ…」横は車がひっきりなしに通る、まさにここは都会のど真ん中。釣りするような雰囲気なんぞ全然ないとこやないけ。欄干のぎぼしの横から下を覗くと汚水が重油のように淀んでる中で亀が泳いどる。頭の上は阪神高速、橋の東側は高麗橋の料金所入口でこの辺で一番混むとこやんか。 「下へ降りるんか」 「平成十一年まで工事中で降りられへん、ここから竿出すんや」 こいつ何考えとるんや、と誰かて思うがな。荘然としてるわてを尻目に、竿を延ばして支度を始めたやんか。急ぎ足で通る人の目が「何する気いや」と睨んどるがね。「餌は何や?」 「昼飯のおかずの残り、海老のてんぶらや。ここの鯉は何でも食いよる、ソーセージ、かまぽこ、マグロのサシミ…」 「鯉がそんなもん食うか」 「たこやきで釣ったこともあるで」 「嘘つけ」 通常の練り餌ではあかん、都会の鯉は銀座のカラスと同じで人の食べ物に慣れとるので栄養が良すぎる、だからデカくなるという解説をしながら仕掛を橋の下に投げよった。世の中にはヒマ人も多いわ、いつの間にか後ろで野次馬の輪が出来とる。 「釣りでっか」と尋ねてから一緒に橋の下を覗いて「いてまんのか、ゴミのほうが多いやろに」と心配する人、中には物知りがいて「以前ここはよう釣れましたで、夜はウナギも釣れま」。ほんまかいナ、見物人の間で会話の花が咲いとるがな、なんちゅうとこやねん。 しかし30分たってもアタリ無し。野次馬も諦めるのは早いわ。少しは静かになったが、わてはまだ釣る気分にはなれへん。 「食うとる」横目で見ると竿先が動いとる。大きく竿がしなったとこでガッと合わせると、ほんま、竿先が暴れだした。リールが鳴る、橋桁の奥に逃げ込みそうになるのを懸命にこらえている。黒い水を泡立たせて魚体がちらりと見えた。予想以上の大物や、タモはないから弱るのを待つだけや、右に左に逃げ回るので糸があっちやこっちや動くのを竿抱えて通行人突き飛ばしながら走り回っとる。 リヤカーに段ボールを山のように積んだおっさんが通りかかって「おっ、きたか」と言うて隣に割り込んで来よった。 魚を騙しながら寄せると、なるほど大きい。お歳暮の鮭ぐらいありそうや。ダンボールのおっさん、自分のことのように興奮の極致。もうちょっと糸を緩めろ、そりや巻けとか指図しとる。声がデカいのでまた見物人の輪ができた。かなわんなあ、どないかならんか。やっと欄千の下まで寄った鯉は自い日を上に向けてパクパクしとる。 「よっしや、上げえ」と、段ボールの掛け声でリール巻き始めたが、どうも糸が竿先に巻きついて動かない。 「何やっとるんや早よ上げえ」ダンボールが叫ぶ、欄干で鈴なりの見物人の応援は巨人戦の右翼席みたいじゃがな。奴も力入るわな、遂に力入りすぎて絡まった糸がプッツンや。 「うああぁぁ」大勢のため息を尻目に大鯉は悠々と黒い汚水の中に沈んで行ってもうた。「アホか下手クソ!」ダンボールのおっさんは負け試合の吉田監督みたいな憮然とした表情で、ブリッとおなら一発こいていんでしもた。奴はしぱし放心状態。 やがて「…道糸が古かったな」奴は一人で納得する答えを見い出して言うた。おまえはアホか、こんな高い場所から釣り上げるのに古い糸使うてどないする気やったんや。 奴は大きなため息ひとつすると 「昔は鯉より鮒がようけおってな、子供の頃はようけ釣った」 「ほう、あんたこが地元かいな」 「今はコンクリートの谷間やけど昔は土手も残ってて、ようここで泳いだもんや」 奴の目が遠くを見とる。 「兎追いしかの山って歌あるやろ、こぶな釣りしかの川ってとこが自分にはここやねん…」 排気ガスにまみれた欄千に乗り出して「デカかったなあ」と、人の感傷より逃げた魚が惜しい私でした。 |