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なんでか、てんから 99/7月号


                           ●絵と文 天野史彦

渓谷が緑で「わっ!」とむせかえる季節でんな。
 まだ新芽の森は青天井の劇場で、小鳥の囀りと谷川の水音が、風の音に乗って音楽を奏でとる。
 金色の綿毛を纏ったぜんまいが、木漏れ日のスポットライトを浴びて、爪先立って踊る森のバレリーナみたいやね。

 みち溢れるオゾンの香りに包まれて、俺は無心に竿を振る。
 これが渓流釣りの醍醐味、命の洗濯ですわ。
 今年はなんでか餌釣りは止めて、ゴルフのドライバーのシャフトを改造した「自作てんから竿」に冨士流てんからラインをセットして、ご機嫌にはまってまんね。
 昔から沢登りが好きやったんで今でもええ歳からげて「アウトドア用具一式」せたろうて、若いもんにめげんとやっとんね。
 抜けとんなぁ、とくさされまんねんで。アルピニストは釣りはせえへん言うて、尺イワナが滝壺に居ってもほたえんと、蛙が泳いどるやんけ、と無関心を装い。
「そこに山があるから…」
 と、目線を斜め上に挙げてかっこつけとったさかい。
 そやけど、山男を張っとっても山釣師の仲間はおりましたで。
 渓流釣師の集まる奥鬼怒温泉の加仁湯の小松長久さんや、その兄の最後の熊打ち名人の茂さんのご家族とは親しくしとりました。
 村の祭や、正月などに奥鬼怒に行くのが楽しみで、鬼怒川温泉から川俣部落まで行くのに、目茶不便な山奥やから、雪道を二日かかったこともおましたな。
 小松名人の釣りは、いつでも、一投必釣の正確さやったなあ。
「恐ろしの滝」の滝壺で釣った巨大なイワナは、魚拓にして保管しとうけど「つちのこ」みたいで大きさはギネスもんちゃうかな。
 陽気な酒でしたな、酔っぱらうと自慢の八木節が出まんね。
 ちょいとだけ、と言うて、歌い出すと丼と卓を箸で叩きまくって小一時間は止まりまへんね。
 そんな親爺やから渓流釣りを志す人が、この名人を慕って集まって来てまして、わても彼らと一緒まいにやっとってん。
 しやぁけ、わしの家族に知れて
「何考えとるんや、どあほう!」
言われて、オウムに入信した息子の奪回作戦もどきで大阪に戻されてしもたんですわ。
 そのままおったら職漁師か虹鱒の養殖家になって、飲めば八木節だけ歌うという、地味な生涯を送っとったでしょうな。
 ほな訳でわては街に戻れましたが、どないなったんか分からん奴もいてまんねん。
 当時の釣り仲間で「池ちゃん」という早稲田の文学部に七年もおる作詩家志望の学生がおってん。
 ホームレスよりひどい身なりしてましてな、母がわしの古着を、
「これに着替えなはれ」と渡したら、すぐそのまま質屋持って行って金に替えてしまう奴でんね。
 昼は喫茶店で大学ノートを書きつぶし、夜は友人の下宿を追い出されるまで転々と居候しとった。
 金が入ると、一夜で新宿の西口で飲んでしまい、もとの金欠に戻るちゅうあかんたれの豪傑やねん。
 彼の不思議なところは、春から夏にかけて、フーテンの寅さんみたいに挨拶もなく消えよんね。
 そして、関東、東北など東日本の渓流釣りの名所を、足の向くまま釣り三昧、釣果を宿賃代わりにして、山下清顔負けの無銭旅行をしとると言う噂でしてん。
 結局、大学も卒業出来ず、行方知れずになってもうてなあ…
 彼は自分で工夫した「本流てんから釣り」の名手やった。
 毛鈎をフライフイッシングのような長い糸で飛ばし、魚を次々と抜き上げて行くのは、そりゃあ見もので華麗な技やったなあ。
「てんから」にはそんな思いがいっぱい、いっぱいありまんね。
 この長い糸振り回していると、二十世紀もじきに終わりやのに、思い出だけがあとじょりこきまんね、歳とるのは、かなんなあ。
(茨木市在住)