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釣りの歴史 徳島は海に囲まれ昔から磯釣りが盛んな土地です。全国的にみても歴史は古く、昭和初期にはすでに専門渡船が営業していたと記録にあります。それより以前は訪れる人も少なく、渡船も漁の合間に磯に送っていたようです。当時はといえば、交通機関も整備されていなかったので、終点駅より仲間と大八車に釣具を乗せ、50kmもの道程を歩いて通ったと聞き及んでいます。 苦しく長い行程も、釣り話に花を咲かせ、期待に胸が膨らませての楽しく有意義な道中だったようです。 鉄道が全線開通してからは、前日に列車に乗り込んで船頭宅で泊まっていたようです。船脚も遅く小船だつたので早朝暗い間に船出し、日の出と共に磯上がりして竿を振るという次第です。 車中はさながら釣りの団体列車の感を呈し、県下各地から集まった釣師が情報交換や自慢話が盛り上がっていた様が目に浮かぶようです。船頭宅でも仕掛作りや明日への期待でまんじりともせず寝る間もなかったことでしょう。 帰りの車中では、大漁釣師の周囲に何重もの輪ができ鼻高々に、声高に釣り談義が披露されたものでしょう。 こうして先人達は莫大な費用と日数をかけてグレ釣りの技を磨いてきたものです。私もこの時期に大勢の先輩達に、釣りのイロハを教えられ現在までその教訓を受け継いでいます。 その頃の釣期は10〜2月末まででした。というのもマキエにモエビ(ブツエビ)を使っていた関係で、活きエサの確保と保管が難しかったからです。 かといって釣りはやめられません。それ以外の季節には、潮入り川や小磯など近場でのチヌ釣りが大盛況でした。 ここで潮取りやマキエの重要性を知り、腕前を磨いてから荒磯のグレ釣りに挑戦しました。こうして海の楽しさや恐さを知り、釣りの基本から段階を踏んで学んだものです。この期間以外はグレの食味がよくないので、積極的に狙うことはありませんでした。 特に暑い夏はクーラーもなかったので、遠くにグレ釣りに出掛けても魚とエサの保管がネックになってしまい、完全にお休みでした。 このような状態が長い間続きましたが、高度経済成長期になると人件費の高騰や田畑への農薬散布でエサの入手がますます困難になってきました。 ところが同時に釣具としてクーラーが出現し、魚の保管が容易になります。時を同じくして活きエサの代用として、冷凍エビ(コサンエビ、サクラエビ、ウタセエビ)が磯釣りで使われるようになりました。 保管とエサの問題が一気に解決し、マイカーの普及もあいまって磯釣り人口は増加の一途。安価なアミエビやオキアミが出回り出し、益々大衆化した磯釣りは爆発的に広がります。 たくさんの釣人が磯に押し掛けたものですから当然のように問題が持ち上がります。限られた数の磯に多数の釣人が押し掛けたので、釣場が超満員になり磯の争奪戦が始まりました。 渡船は定員を無視、はたまた大波の危険を顧みず無謀な磯取りをする釣人が続出します。当然のように事故が起こり渡船の転覆や波にさらわれ、生命まで失った釣人もあります。 釣場では大量のマキエが撒かれるものですから、底や中層の磯魚がマキエに酔った状態で水面まで姿を表すようになりました。はたまた、回遊魚まで磯に居着くようになったので、空前の磯釣りブームが到来します。 釣技やハリスの太さに関係なく、先を争って魚が食ってくるので、釣るのは簡単です。大漁続きのため種魚(産卵をする魚)を根こそぎ釣り切ってしまうという結果になってしまいました。 そんな状況の中、有志により新しい釣場も続々開発されていきましたが、焼け石に水です。釣場が一つ、また一つと破壊され消滅していきます。 魚が釣れなくなり釣人が去った後には、一時期は小グレすら姿を消してしまったのです。こんな閑古鳥が鳴くような釣場には釣人は足を向けません。一端寂れた釣場は回復に長い時間を要し復活は遅々として進みません。 たまに好漁はあっても長続きはせずグレの型は小さくなる一方で、産卵前(30cm未満)の魚がターゲットになります。これらを釣ると自分の首を絞める結果になることは解っているのですが、この型までが対象魚になります。 こんな現状を救ったのが、今ではすっかり嫌われ者のエサトリ軍団だったのです。あり余るマキエを食べてエサトリが異常発生を繰り返します。時には海一面を埋め尽くします。毎年種類も入れ代わって、大群が磯に居着いて釣人を悩まします。 このためグレをハリに掛けることは昔に比べて数段困難となります。ひいてはグレが乱獲から守られる結果ともなったのは皮肉な限りです。 それ以降、エサトリを征することが磯釣りの第一歩となり、グレの釣技にエサトリ対策が最重要課題として取り入れられ現在に至っています。 磯釣りのうつろいに伴い釣具も進化していきます。まず、竿の材質が竹からカーボンになり反発力が増したことで、魚の取り込み方が変化します。 竹竿は反発力が少ないので、魚の頭を極力沖へ向けない方法が取られました。ですから、魚をハリに掛けたら竿を左右に振ることで、魚の頭を横に向け進行方向へ素早く抜き上げていました。これを無限に繰り返し水面に浮かせたのです。 カーボンになってからは竿の特性を活かし、竿を立てて反発力を最大限に利用する方法がとられています。魚の引きを竿で矯め、魚にスピードを出させないようにします。こうすることで魚は竿と格闘し反発力に負けて素直に浮いてきます。 それにスピニングリールにブレーキ機構が付いたことで、繊細なやり取りが出来るようになりました。強くなったハリスとあいまって仕掛はより細くなっていきます。 ハリス、ハリ、ウキ、オモリから、磯靴、防寒具とすべての釣具が材質と使い易さを求め進化を重ねます。昔のまま使われ続けているものを探しても皆無となりました。 私は釣りが楽しみなので釣れなければ悩んだり落ち込んだりもしますが、釣れないときこそ「次回は釣ってやる」と努力し、技術の向上と運を呼び込むことに努めています。 釣果が少ないと今度こそ、今度こそとのめり込んでいきます。ボーズの時など頭を抱えて考え込みます。しかし、根が楽観主義者なので、しかめっ面をしたり他人に当たり散らし周囲に迷惑を掛けるのは大嫌いです。 これからの連載にあたって私の知る範囲の技術は包み隠さず発表していきます。また釣れないときの遊び方も併せて載せていきたいと思っています。 釣技はその生い立ちやプロセスまでを説明するので、自分に合ったやり方だと感じとれば取り入れてください。 またご要望や提案があれば編集部へ一報くださると、私なりに取り上げていきたいと考えております。(徳島市在住) |
